松の精のおじいさん@北野天満宮

 

 

 「もみじのにしき谷のまにまに」って誰の歌だったっけ、などと思いながら、11月の紅葉の時季、午後遅くに北野天満宮についた。

 天満宮の一の鳥居を抜けると右手に松がある。

 「影向の松」と札がたっている。初雪が降ると、この松に神様が降りて歌を詠ずるそうだ。

 そんな説明を読んでふと見ると、松の正面に、グレーのジャンパーをはおったおじいさんがひとり、頭を下げて祈っておられる。おじいさんが去られてから松に近づいて見よう、となんとなく待っていたら、踵を返して歩き始められ、足が悪いようで、そろりそろりゆっくりゆっくり、こちらに来られ、すれ違いざま、「あの松はねえ」と明るい声で話しかけられた。(おじいさんは京ことばです、念のため。)

 「あの松はねえ、金閣寺を、前の、金閣寺を、建てられたお方の、お手植えになった松でねえ」

 前の金閣寺を立てた人というのは、足利義満だっけ??などと思いながらうなずいて聞く。

 「あそこに茶室が見えるでしょう」

 おじいさんが指さした方向は、参道を隔てて、ちょうど松と並行の位置にある茶室。松から15メートルか20メートルか、もう少し離れているかもしれない。

 「あのお茶室は、お茶会があるときだけ門が開きます。そしたらねえ、井戸があります。その井戸をねえ、のぞくと、この、この松の根エがねえ、こう、くるうーっとねえ、巻いとるのがねえ、見えます。」

 「くるうーっと」、と言うとき、ゆびをくるっとさせる身ぶりがついた。

 「この松、あんな遠くまで、根が伸びてるんですか?」

 おじいさんはうなずいて、

 「あの井戸にねえ、どれくらい水があるか知りたくてねえ、消防呼んで、水を抜いてみたらねえ」って、おじいさん、消防呼んでまでそんなことしたの?と思いつつ。

 「そしたら、水抜いた、とたんに水がさあーっとね、さあーっと、30分もたたんうちにいっぱいになりました。そのとき、この松の根エがねえー、こう、くるうーっと、巻いておったのが見えて。」 もういちど、身ぶりつき。

 「水源が近いんですか? すぐいっぱいになっちゃうのは。」

 「紙屋さんがね、紙屋川が、すぐ、向こうを流れてます。」

 「その水が来るんですか?」

 「それでねえ、30分も経たないうちにねえ、いっぱいに。」

 おじいさんは、すごおい手柄話をするような、すごおい発見を報告するような、そんな感じで楽しそうに話す。

 「そしたらねえ、この、松の根エがねー、あの井戸の中でねえ、こう、くるうーっと、なっとった。」

 やっぱり、 身ぶりつき。

 

 「わたしはねえ、ここの天神様に、ずっとつとめさせてもらいました。そしたら、うちは、あっちにあるんだけど、家をなおすとき、庭を掘ったらお地蔵さんが出てきました。」

 「それで、そのお地蔵さんをおまつりしたらねえ、家の前、道にいーっぱい車が通るのに、いっこも事故がないようになりました。」

 「すごいですねえ。」

 「わたしはねえ、神主でしたけどねえ、月に二回、神主ですけど、尼さんにきてもろうてねえ、お地蔵さんをおがんでもろうて。」

 おじいさん、ゆかいそうに笑う。

 「神主さんなんですね。それで消防呼んだんですね。」

 「そしたら、30分もせんうちに水がねえ、そして、この松の根エが、くるうーっとねえ。」

 どうしても、身ぶりがつく。

 「死ぬまで、ご奉公させてもらうつもりでいたら・・・・あんたがずーっとおったら、下のもんがえろうなれん、って言われましてねえ。それでやめました。ななじゅうはち。」

 「そうですか。」と相槌打つと

 「戦争が終わった年」と続く。

 え、戦争が終わった年に78って、いま、いくつ? あー、このおじいさんは、松の精霊なのかなあ、などと、くらくらっと思いながら聴いてると、

 「21の時からねえ、57年ねえ」

 「あ、終戦の年に神主さんになられたんですね」

 おじいさん、答えずに、にこにこしながら。

 「死ぬまで、ずーっと、ここにいられると思うたら、下のもんがえろうなれんて、ねえ」

 そしてまた、松と茶室と、見やりながら。

 「消防呼んで、水抜いたら、もうお、すぐ、30分で。松の根エが、くるうーっとねえ。巻いておって。お茶室、開いたときに、いちど見てごらんなさい。ねえ。」

 

 おじいさんは、ゆっくりゆっくり、くりかえし話す。

 「松の根エがくるうーっと」は、合図かしるしかのように、なんども話の途中にはさまれる。そしてかならず、くるうーっのところに手ぶりがつく。

 なんとなく名残惜しく、そのくりかえしを聴いていた。

 でも、そろそろ。。。

 

 「きょうは、天神様の、お土居の、もみじを見に来たんです。もみじ、きれいですか?」

 「ああ。お土居さんのもみじ。きれいですよ。きょうは、お茶の接待もあります。あそこからね、行って。もみじ、ごらんなさい。きれいです。」

 「そうですか。お土居さん、はじめて行くんです。お茶もいただけるんですか。じゃ、見させていただきます。おじいさんも、気をつけて、お元気で」

 どう、別れればいいか、ことばを探しながら言うと

 「はい。ありがとう、あなたさまも、お元気でねえ。」

 そう言われて、またゆっくりゆっくり、鳥居のほうへ、歩いて行かれたのでした。

 

  

 

 天満宮は梅にゆかりの地とばかり思っていたら、お土居(秀吉が都にめぐらせた土手のような城塞。そのあとに沿って紙屋川が流れ、環濠のような谷になっている)のもみじはすばらしく、また、松にまつわる伝承もあって、境内は梅と松の意匠にあふれていました。

 そして、「このたびは幣もとりあえず手向山もみじのにしき谷のまにまに」は、天神様として祀られた、菅原道真の詠んだ歌でした。