「貝の火」メモ/ホモイの目を損なったもの

 マーシャルの浜辺で拾ったという貝をもらって、石を拾うことへと連想が飛び、石神社にたどりつき、そこが山猫あとりゑのごく近くだったために賢治へとつながって、もう一度貝にもどって、「貝の火」をふと読み返してみた。

 ひばりの雛を助けたうさぎの子ホモイは、鳥の王から貝の火という玉をわたされる。玉の中でうつくしい色とりどりの火が燃えている。貝の火を得ることはたいへんな名誉だが、言い伝えによればそのうつくしさを保つのは容易なことではない。貝の火をホモイが受け取ったことは皆が知っていて、動物たちはホモイにへつらい、ホモイはごく平凡に有頂天になってゆく。

 それにしても、「貝の火」は慢心だけの話だろうか。

 貝の火の破片が入ってホモイの目は見えなくなるが、視力を失ったことが示すのは少年ホモイが「外」や「世間」を今までと同じようには見られなくなったということだろう。ホモイはこれからしばらく自身の「内」ばかりを見続ける、あるいは破片が入って形成された分厚いフィルターを通してしか「外」を見ることができなくなる。そして、それを招いたのはホモイの平凡な慢心ではなく、ホモイの父親の「笑ってやってください」という言葉なのではないか。その言葉とともに貝の火は割れてその破片がホモイの目に入り、ふたたび貝の火はもとの玉にもどる。

 父親はしばらく腕組みをして考えてからホモイに言う。「こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、一番さいはいなのだ。目はきっとよくなる。お父さんがよくしてやる」と。

 

 栗鼠に威張り散らし、むぐらを脅しても、貝の火は曇りはしなかった。そのつど、両親はホモイを諌め、三人はおそるおそる貝の火を見たではないか。けれども、さらにうつくしさを増す貝の火は父親を黙らせ、ホモイに「自分が何をしても貝の火は曇らない」とまで言わせるに至る。そのことばを父親は否定できなかった。

 貝の火が曇ったのは、「自分が何をしても貝の火は曇らない」と思いこんだ気持ちのままに狐にそそのかされ、鳥を捕獲するという「罪」にホモイが加担してしまったときだ。けれど、貝の火を曇らせ、濁らせてしまったことはまだ、ホモイの目を損なうまでには至らなかった。

 貝の火がうつくしく燃えるのをやめて鉛のような玉になってから、ホモイはただ泣くだけでひとこともしゃべらない。しゃべり続けるのは父親だけだ。「ホモイ、お前は馬鹿だ。おれも馬鹿だった。」鳥たちを箱に閉じ込めた狐に対峙し狐を追い払うのも父親だ。

 そして鳥たちに乞われるままに彼らを連れて家に戻り、鉛のような貝の火を差し出して「もうこんな具合です。どうか沢山笑ってやって下さい」と父親が言ったそのとたん、貝の火はまっぷたつに割れて、破片はホモイの目に入るのだ。

 ホモイの目が白く濁ってしまうのは、狐に加担し鳥を捕えるという罪を犯したゆえに、鳥の王あるいは貝の火がホモイに直接与えた「罰」としてではない。父親の態度と言葉が決定打となって、ホモイが迷い込む苦悩の、それがいま始まったばかりであることを象徴しているのではないだろうか。

 

      

小林敏也/画本宮澤賢治「よだかの星」。鷹に脅されるよだかをホモイが見てる。石ころもころん。