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小林敏也/画本宮澤賢治原画展@小諸市立美術館

 2012年8月3日(金)~9月2日(日)。小諸市立高原美術館。

 小高い丘(あるいは小さな山)のてっぺんにたつ美術館です。

 街なかの画廊で見るときとはちがう、ひろびろとした空間がたっぷり、小林敏也の宮澤賢治宇宙。

 

 

 

「銀河鉄道の夜」の全ページの全原画が物語の順に並んでいます。

 フレームに入っていますが、アクリルもガラスも無し。反射に悩まされることなく、とっても近くでじっくり堪能、スクラッチ技法で描かれた細やかで鋭い小林さんの線。

 

「貝の火」メモ/ホモイの目を損なったもの

 マーシャルの浜辺で拾ったという貝をもらって、石を拾うことへと連想が飛び、石神社にたどりつき、そこが山猫あとりゑのごく近くだったために賢治へとつながって、もう一度貝にもどって、「貝の火」をふと読み返してみた。

 ひばりの雛を助けたうさぎの子ホモイは、鳥の王から貝の火という玉をわたされる。玉の中でうつくしい色とりどりの火が燃えている。貝の火を得ることはたいへんな名誉だが、言い伝えによればそのうつくしさを保つのは容易なことではない。貝の火をホモイが受け取ったことは皆が知っていて、動物たちはホモイにへつらい、ホモイはごく平凡に有頂天になってゆく。

 それにしても、「貝の火」は慢心だけの話だろうか。

 貝の火の破片が入ってホモイの目は見えなくなるが、視力を失ったことが示すのは少年ホモイが「外」や「世間」を今までと同じようには見られなくなったということだろう。ホモイはこれからしばらく自身の「内」ばかりを見続ける、あるいは破片が入って形成された分厚いフィルターを通してしか「外」を見ることができなくなる。そして、それを招いたのはホモイの平凡な慢心ではなく、ホモイの父親の「笑ってやってください」という言葉なのではないか。その言葉とともに貝の火は割れてその破片がホモイの目に入り、ふたたび貝の火はもとの玉にもどる。

@チャイハナおしまいの日。山猫さんとマスターと。

 光が丘チャイハナさんでの展示が終わりました。お運びくださったみなさま、ありがとうございました。

 最終日、搬出を終えて、山猫としやさんとマスター吉村さんとよもやま話。吉村さんから「いまの若いひとは『希望』ということばをどう使うのだろうか? それを聞いてみたかったのです」と。

 わたしは団塊世代の山猫叔父さんやその世代よりやや上のマスターよりは年少であるけれど、「若い人」の範疇には入らないし、どう答えたらいいものかなかなか思いつけませんでした。

 マスターやとしやさんが「若者」として生きて来た時代は、今日よりは明日、明日よりは…と、常に前へ前へ、大きく、新しく、より良くなる、という価値観があたりまえだった。その経験で今の若い人を見ると、自分たちの時代といかに違うか、と唖然とする。けれど、明日が、未来が、より良くなるという価値観に覆われていた自分たちの時代こそ特殊な時代で、たとえば、平安時代に生きたあるひとりの農民が、そういう価値観を抱いていたとは想像できない。「今日が無事過ごせれば、明日も同じように無事であればいい」、そう思って生きていたのではないかと。

チャイハナ光が丘 山猫あとりゑ+かわうそ兄弟商會展

 

 チャイハナとは茶店、お茶を飲む店のこと。チャイはお茶ですが、ハナは「店」ペルシャ語が語源で「家」。わたしがちょっとかじったトルコ語では「チャイハネ」と発音します。

 ペルシャ語はわからんのでトルコ語ネタになってしまいますが、トルコ語では図書館のことを、kütüp本(複数形)+haneでkütüphaneキュトゥップハーネと言います。

 このことばを聞くたび、脳裡には、図書館に羽がはえ、ふわふわと浮遊している絵が浮かぶ。

 本って、ほら、まんなかで開いて天地のどちらかから見ると、なんとなく「飛べそうな物体」に見えるでしょ。

伊勢型紙とインカの石積み

  

 少し前まで三菱美術館で型紙展をやっていた。展覧会のタイトルは「KATAGAMI」で、日本の伊勢型紙が世界のデザインシーンにどれほどの影響を与えてきたかを紹介する構成になっていた。19世紀末から西洋美術へ顕著な影響を与えた「ジャポニズム」。今までも浮世絵と印象派、琳派とアールヌーボーの関係などをとりあげてそれを検証する展覧会はあったけれど、「型紙」もまた、同様の役割をしっかり果たしていたことを知った。

 

山猫あとりゑ+かわうそ兄弟商會展@根津りんごや/終了いたしました。

 おかげさまで盛況のうちに終了いたしました。

 おでかけくださったみなさま、ありがとうございました。

 

 

  かつて八百屋さんだったという、間口の広いガラス戸を開け放った「りんごやさん」は、路地と屋内がひとつながりになった縁側みたいな空間です。猫たちが通り過ぎたり、散歩中の犬が飼い主を引っ張って寄り道したり、近所のちっちゃなこどもたちも手をふって通る。猫たちの愛称もこどもたちの名まえも、いつのまにか覚えてしまった。

 雨が降れば新緑が冴え、風が吹けば花や草の匂いがまじる、みずみずしい季節。外気を感じながら過ごす気持ちのよさ。道行く人たちと目が合えば、お互いにちょっとあいさつを交わす、縁側社交も楽しく。

星微堂書店企画 山猫あとりゑ+かわうそ兄弟商會展

  かわうそ兄弟の叔父さんこと、小林敏也さんの画本/宮澤賢治シリーズから、今回は「猫の事務所」の原画展です。叔父さんといっしょに、かわうそ兄弟商會の手ぬぐい、ブックカバーなども展示+販売いたします。

  ちなみに、(ご存知の方が多いとは思いますが)かわうそ兄弟商會の、ぽけっとした兄とちょいと目つきのよろしくない弟の「かわうそ兄弟」ロゴマークは山猫叔父さんこと小林さんに描いていただきました。

  「猫の事務所」のなかで宮澤賢治が、酋長猫を「眼光烔々たるも物を言ふこと少しく遅し」、財産家猫を「物を言うこと少しく遅けれども眼光烔々たり」と紹介していますが、かわうそ兄弟のロゴにあてはめると、「兄は物を言うこと少しく遅けれども弟は眼光烔々たり」って感じでしょうか。

画本/宮澤賢治「やまなし」

 ここに映し出されるふたつの幻燈は、わたしたちの日常にふと滑り込み、肥大した日常の膜を削ぎ、切り裂き、その間隙に生じる場面です。それはだれにでも訪れ、だれでも見たり感じたりします。ときどきしかそれを見ない人もいますし、ひんぱんに感じる人もいます。

 クラムボンが笑う理由も、殺された理由も、永遠にだれにもわかりません。お魚が行った「こわいところ」がどこなのか、永遠にだれにもわかりません。でも、蟹のおとうさんが言うように「だいじょうぶ」なのです。なぜ「だいじょうぶ」なのかって? それを説明する言葉を探すのはしばしやめて、たとえば、蟹の子の棲む川面をぼんやりながめてください。今が五月なら、新緑のそよぐ木々を、その木漏れ陽を。そしてかすかな葉ずれの音を聴いてください。

 いいにおいのやまなしがふいに天から落ちてきます。それは、待っていても、待っていなくても、あるとき、ふいに落ちてきます。落ちてきたときはついて行ってみましょう。いい匂いにさそわれるままついてゆきましょう。そしてひとりでにお酒になるのを待ちましょう。

横浜赤レンガ倉庫のクラフト&ビールフェスタ

 例年になく長かった冬が終わり、やっと「桜が咲いた」とお花見に浮かれているうちにゴールデンウィークが迫ってまいりました。

 かわうそ兄弟商會よりイベントのお知らせです。

 4月27日~30日の4日間、横浜の赤レンガ倉庫で「クラフトフェスタ2012」が開催されます。今回で14年目を迎える、春恒例のクラフトフェスタです。織物、ガラス、陶芸、木工、アクセサリー、さまざまな工芸品が並ぶなかに、かわうそ兄弟商會の藍染めも参加いたします。詳細はこちらから。

 新作、単行本(四六判)ブックカバーもデビューいたします。

四天王寺という場所 その2/3月18日のスケッチ

 「四天王寺夕陽が丘」という地下鉄谷町線の駅で降りる。地名が表わすごとく今も夕陽の名所らしい。四天王寺の西門(さいもん)からは、春秋の彼岸の日、まっすぐに日没が見える。湾が近くまで迫っていた地形の時代は夕日は海に落ちた。

                                                 

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