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四天王寺という場所 その1/能「弱法師」

 急に誘われて大阪に行った。京都も奈良も幾度となく行ったことがあるが、大阪はいつも通り過ぎるだけで(乗り換えとか、そのついでに梅田でごはんを食べたとか)落ち着いて特定の場所を訪ねたことがない。どこに行こうと思いめぐらせて最初に浮かんだのが四天王寺だった。

 「弱法師(よろぼし)」という能がある。友枝喜久夫さんがシテをつとめた「弱法師」をDVDで観て印象に残っていた。盲目の青年(姿からは少年と言った方がいいかもしれない)俊徳丸(しゅんとくまる)の物語。「出入の月を見ざれば明暮の夜の境をえぞ知らぬ。難波の海の底ひなく深きおもひを人や知る…」シテの登場とともに謡われるこの一節で、盲目の弱法師の悲嘆の境地がずしりと胸に迫り、とたんに引きこまれてしまう。

3月14日の記念日的過ごしかた

 3月14日がホワイト・デイと呼ばれるのは、2月14日がヴァレンタイン・デイだからであって、ホワイト聖人の殉教日なわけではなく、ヴァレンタインの贈りものに対してお返しをしましょうと、日本でいつからか定着した記念日です。

 さて、3.14という数字の並びから、3月14日は「円周率の日」そして「数学の日」だということを知っている人は少ないのでは。記念日好きな日本人の、そのなかでも理系な人たち、数学好きの人たちのごく内輪なマイナー記念日にすぎぬのかと思っていたら、そうではなくて、世界各国で3月14日を「円周率の日」として楽しんでお祝いしている人たちがいるらしく、ホワイト・デイよりよっぽどメジャーな記念日なのでした。

小林敏也×羽生田有紀×かわうそ兄弟商會 3月とりぷる展

  

急なお知らせです。
3月のトリプルな合同展。

小林敏也「宮澤賢治作/ポラーノの広場」原画展
羽生田有紀&かわうそ兄弟商會の藍染め展

小林敏也/画本宮澤賢治シリーズの販売もいたします。
ぜひおでかけください。

国立ギャラリーゆりの木
2012年3月6日(火)~3月11日(日)
午前11:00~午後7:00
(初日午後2時~/最終日~午後5時)
地図・ギャラリ―詳細はこちらから

「また戻ってくるかもしれない」

 2012年2月22日。藍染めのシャツを注文してくださった「おもしろ学校」主催の名取さんといっしょに八王子野口紺屋へ行く。1月に糊置きや染めに通った時期はほんとうに底冷えする寒さだったが、この日はずいぶん寒さもやわらいでいた。名取さんは山梨のご出身で、父方の本家が「紺屋(こうや)」という屋号を持っていたそうだ。そんな話を名取さん、野口さんとしながらのんびりシャツを染める。藍染めをするときは、もちろん、てきぱきと動くことはたいせつなのだが、決して焦らず、あわてず、どこかのんびりかまえておくほうがいいのです。
 名取さんの話を受けて野口さんが、「紺屋はね、昔はどこにでもあった、村にも町にも。今、クリーニング屋とかコンビニとか、どこにでもあるように、どこにでもあったんですよ」とおっしゃる。「でも、要らなくなっちゃったんだね。世間では要らなくなっちゃった商売なんですよ。」
 だけど、そのあと、続けてこう言われた。
 「でもね、これからの時代はね。またこういう商売が、こういうやり方が、必要になってくるんじゃないかなあ。」

幻燈会を終えて/朗読で思いだしたこと

幻燈会が終わりました。
このたびの幻燈会は、画面が変わるとき、「がしゃっ」と音の鳴る、アナログな幻燈機を小林さん自ら幻燈技師になっていただいて上映しました。
朗読係ときたら、ひとまえで朗読するのは二度目でした。(小学校などであてられたとき以外ね。)
はじめてひとまえで朗読したのは15年以上も前で、斎藤悦子さんの詩を読んだのでした。それは短い詩が数編で、わたしの持ち時間もたぶん20分くらいだったと思います。
このたびの18日の晩は、かわうそ兄弟商會の藍染めブックカバーにその詩句を彫った、「青森挽歌」と「春と修羅/序」、童話の「黄いろのトマト」をとりあげました。「青森挽歌」は長編詩で約20分、「黄いろのトマト」も童話なので約40分くらいかかります。のどが、声が、最後まで保てるか心配でしたが(しかも5日ほど前から不覚にも風邪気味だったので)なんとか掠れることなく読みきることができました。
でも実は、読んでいるというより、暗唱に近いものだったのです。文字は目で追っているのですが、一定のリズムに乗ると、暗唱に近くなります。練習で何度もくりかえし読んでいると、歌をうたうように、つぎからつぎへとことばが出てくるのです。

MTM07終了いたしました!

 12月3日、4日のMTM07にご来場いただいたみなさま、ありがとうございました。
 昨年のMTMはかわうそ兄弟商會ができたてほやほやの「藍Pad」をひっさげてデビューした記念すべき場。その場に今年も立つ、ということで、実はとっても緊張していたのです。「ビギナーズラック」ということばもあったりしますから。
 どきどきしながらブースに立ちましたところ、うれしいことに、昨年来てくださった方たちとの再会あり、新しい出会いもどんどん生まれ、たいへん楽しく、みのりある2日間を過ごさせていただきました。
 理工系デザインをおもしろがってくださることは、デザインをした者としてはもちろんうれしい限りなのですが、やはり、「藍染め」の持っている魅力ってすごいのではないかとあらためて思ったのです。日本人のミームがぴぴっと反応してしまうのではないかと。
 お買い上げいただいたみなさま、MTMの会場はライティング環境があまりよくありません。外に出て明るい光のもとで藍の色をじっくり堪能してくださいね。
 早々に売り切れたアイテムにつきましては、クリスマスプレゼントやお年始のあいさつグッズとしてのおつとめも果たせるよう、さっそく再販準備にかかる所存です。このデザインの手ぬぐいがあれば、ブックカバーがいいな、などなど、具体的リクエストも受付中。ぜひリクエストをご送信くださいませ。よろしくお願いいたします。

影を避ける/染めの仕事

 

 2011年11月9日水曜日、帯の糊置きに野口紺屋へ行く。

 薄曇りだが陽も射す午前、淡く光る空を背景に「皇帝ダリア」が花を咲かせていた。花びらはうすむらさきいろで、桜の花びらが少し青みがかったような色。「皇帝ダリア」という名まえがついているので、幾重にもかさなった豪華な花を想像していたのだが、大輪ではあるけれど一重咲きで、花の構造はごくシンプルだ。花びらもそれほど厚みがなく、かすかな風にも揺らぐ。このまま小さくすればずいぶん可憐な花に感ぜられるだろう。ただ、ものすごく背が高い。まるで樹木のように伸びている。糊小屋の屋根より、さらに1メートルは高い。

 「いいかげん、早く咲かないと、咲く前に切っちまうぞ」

つぼみをつけたまま、なかなかほころばないダリアを、野口さんのおじさんは昨日、脅したのだそうだ。とたんに効を奏して、今朝、花が咲いた。

 「ことばがわかるんですよ」

 おじさんが笑って言う。

目からウロコの雪女バリエーション

 雪女伝説発祥の地、青梅に、「山猫あとりゑ」を営むかわうそ兄弟の叔父さんこと小林さんを囲んで飲んでいたときのこと。叔父さんと長年の飲み仲間の某氏が、

 「青梅って雪女の伝説のある土地でしょ。」

と、頭突に雪女話をはじめた。

 叔父さん曰く、

 「うん。小泉八雲のところで働いていた女中さんが青梅の出身で、雪女の話を八雲にして、それで、八雲が文章に残して有名になったんだね。」

 ふうん、そうなのかあ、と興味深く聞いておりますと、さらに某氏、続けて言うには、

 「雪女ってさ、あれね、女がね、若いきれいなオトコをナンパする話なんだよね。で、もう飽きちゃったから、自分からかまかけてね、夫に自分の秘密をしゃべらせて、よくも約束破ったなあ、なんて言って、子どもを押し付けて自分は山に帰って行く。で、次のオトコをナンパするんだね。」

 と、あっけないほど手短に解説してくださったのでした。

 雪女はなんで、子どもを置いて山に帰ったのか? それは物語の掟か? なんて、あれこれ心理分析していたことが、なんというか、我ながらおかしくもあり。

感触のぜいたく、あるいは愛すべきモノ

 長く木版画を中心に制作活動をしてきたのだが、数年前、自由に藍染をさせてくれるという紺屋さんの存在を知り、古いシャツを染めに行ってたちまち藍染の虜になった。野口藍染工場は工場という名前ではあるけれど、江戸時代から続く紺屋で、今は六代目親方の野口汎さんと修行中の息子さんが二人だけで、「長板中形」という型染めの浴衣地を染めている。

 木版を彫ってきた経験からごく自然に、染めの型紙を彫ってみたいという衝動にかられた。さっそく渋紙という型紙を染色材料店に買いに行き、デザインナイフで彫ってみる。

 白い布に型を置き、糊をペーストし、藍甕で染める。糊を水で洗う。透明な水の中でゆらゆらと揺れながら浮かび上がってきた白地の文様とそれをふちどる藍の輪郭の生むニュアンスは、うまく言えないけれど、「ああこれだ」と、じぶんがずっと探してきたものに近づいたような、宝物を見つけたような感覚をわたしにもたらした。

 それからは、ただ夢中で楽しくて型を彫っては染めていた。薬品が苦手なので、和紙と柿渋で作られた渋紙も、もち米や米ぬかから作る糊も、藍甕に浸すだけで染まる藍という染料も、性に合っているのか、のびのびと作業できる。版木を彫る時間より渋紙を彫る時間のほうが増えて行った。

宮澤賢治と震災

 横浜関内の吉田町画廊での二人展が終了いたしました。不安な時期にもかかわらず、会場に足を運んでいただいたみなさま、どうもありがとうございました。

 今回の二人展で展示した型染めの作品は、そのほとんどが宮澤賢治の詩句を型に彫り、藍で染めたものでした。偶然ですが、賢治は、このたびの地震と津波で甚大な被害を受けた岩手に生まれ、生涯をすごした詩人です。生前に出版した唯一の詩集『春と修羅』には、関東大震災の影響を受けた心象がつづられた詩も収められています。ですから今回は少し、宮澤賢治の詩について書いてみたいと思います。

 自分の詩を「心象スケッチ」とよんだ賢治は、『春と修羅』を編集するにあたって、みずからの「心象スケッチ」を時系列に並べました。すべての詩の末尾に、その詩が作られた年月日が記されているのでそれがわかるのです。1922年の1月から、関東大震災の起きた1923年の9月1日を経て12月まで、約2年間の「心象スケッチ」が、『春と修羅』には収められています。

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