Kawauso's blog

炎暑の日。2012.08.22@野口紺屋

 

 

 陽射しが痛い。

 白布がまぶしい。

 「下張(したばり)」という作業中。

 糊に漬けた反物を干す。

 「きょうは30分で乾いちゃうけど、暑すぎてさすがにからだがくたびれる。」

 下張は型紙で糊置きをするまえに反物に施す。

 同じ「糊」でも、この糊はいわゆるシーツとかぱりっとさせるために糊づけする糊。

 こうやって糊づけをし布に歪みがでないようにする。この処理をしておかないと、鏡面で表裏に型を置くとき、両面がぴたりと合わない。

 

 ここ数週間は、訪ねるたび「型置き」の作業はお休みされている。暑すぎて型置きの作業には向かないそうだ。先週は反物を貼る長板を洗ったり、その前の週は長板を置く「馬」という台を土間に埋め替えたりされていた。

「銀河鉄道の夜」メモ/去ったもの帰るもの

 koboという電子書籍を読むためのタブレット端末を貰ったら、青空文庫として「銀河鉄道の夜」が入っていた。折しも小諸まで山猫叔父さんの原画展の搬入を手伝いに行き、「銀河鉄道の夜」の原画を物語順に並べる、という作業をしてきたばかりだったので、敏也さんの絵を思い浮かべながら、ひさしぶりに始めから終わりまで一気に読んだ。(それにしても敏也さんの描く画面は、どれほど賢治の文章に忠実であることか、それを改めて噛みしめながら読んだのだ。)

 

 「銀河鉄道の夜」はどの場面も青く翳りを帯びている。そしてときに漆黒の闇になる。なんだか冷たいようなしんとした空間に、忽然といろとりどりのさまざまな幾何学形の信号標が浮かび、銀のすすきの穂がなびき、ガラスのコップのようなりんどうの花が回転する。やがてふしぎな乗客が乗ってきて、鷺や雁がぽきんと折れるほど薄くひらべったくなって箱のなかに重ねられていたり、剥いてゆくその端から空間に溶けて消えてゆくりんごの皮、「いまこそわたれわたり鳥。いまこそわたれわたり鳥」と叫ぶ信号手の合図、うっとりと惹きこまれる車窓風景とエピソードが散りばめられ、気まぐれに拾い読みしてそれぞれの描写を瞬間にあじわうだけでもじゅうぶんで、全体を通して一気に読むということはあまりしていなかったと気づく。

 

小林敏也/画本宮澤賢治原画展@小諸市立美術館

 2012年8月3日(金)~9月2日(日)。小諸市立高原美術館。

 小高い丘(あるいは小さな山)のてっぺんにたつ美術館です。

 街なかの画廊で見るときとはちがう、ひろびろとした空間がたっぷり、小林敏也の宮澤賢治宇宙。

 

 

 

「銀河鉄道の夜」の全ページの全原画が物語の順に並んでいます。

 フレームに入っていますが、アクリルもガラスも無し。反射に悩まされることなく、とっても近くでじっくり堪能、スクラッチ技法で描かれた細やかで鋭い小林さんの線。

 

「貝の火」メモ/ホモイの目を損なったもの

 マーシャルの浜辺で拾ったという貝をもらって、石を拾うことへと連想が飛び、石神社にたどりつき、そこが山猫あとりゑのごく近くだったために賢治へとつながって、もう一度貝にもどって、「貝の火」をふと読み返してみた。

 ひばりの雛を助けたうさぎの子ホモイは、鳥の王から貝の火という玉をわたされる。玉の中でうつくしい色とりどりの火が燃えている。貝の火を得ることはたいへんな名誉だが、言い伝えによればそのうつくしさを保つのは容易なことではない。貝の火をホモイが受け取ったことは皆が知っていて、動物たちはホモイにへつらい、ホモイはごく平凡に有頂天になってゆく。

 それにしても、「貝の火」は慢心だけの話だろうか。

 貝の火の破片が入ってホモイの目は見えなくなるが、視力を失ったことが示すのは少年ホモイが「外」や「世間」を今までと同じようには見られなくなったということだろう。ホモイはこれからしばらく自身の「内」ばかりを見続ける、あるいは破片が入って形成された分厚いフィルターを通してしか「外」を見ることができなくなる。そして、それを招いたのはホモイの平凡な慢心ではなく、ホモイの父親の「笑ってやってください」という言葉なのではないか。その言葉とともに貝の火は割れてその破片がホモイの目に入り、ふたたび貝の火はもとの玉にもどる。

@チャイハナおしまいの日。山猫さんとマスターと。

 光が丘チャイハナさんでの展示が終わりました。お運びくださったみなさま、ありがとうございました。

 最終日、搬出を終えて、山猫としやさんとマスター吉村さんとよもやま話。吉村さんから「いまの若いひとは『希望』ということばをどう使うのだろうか? それを聞いてみたかったのです」と。

 わたしは団塊世代の山猫叔父さんやその世代よりやや上のマスターよりは年少であるけれど、「若い人」の範疇には入らないし、どう答えたらいいものかなかなか思いつけませんでした。

 マスターやとしやさんが「若者」として生きて来た時代は、今日よりは明日、明日よりは…と、常に前へ前へ、大きく、新しく、より良くなる、という価値観があたりまえだった。その経験で今の若い人を見ると、自分たちの時代といかに違うか、と唖然とする。けれど、明日が、未来が、より良くなるという価値観に覆われていた自分たちの時代こそ特殊な時代で、たとえば、平安時代に生きたあるひとりの農民が、そういう価値観を抱いていたとは想像できない。「今日が無事過ごせれば、明日も同じように無事であればいい」、そう思って生きていたのではないかと。

チャイハナ光が丘 山猫あとりゑ+かわうそ兄弟商會展

 

 チャイハナとは茶店、お茶を飲む店のこと。チャイはお茶ですが、ハナは「店」ペルシャ語が語源で「家」。わたしがちょっとかじったトルコ語では「チャイハネ」と発音します。

 ペルシャ語はわからんのでトルコ語ネタになってしまいますが、トルコ語では図書館のことを、kütüp本(複数形)+haneでkütüphaneキュトゥップハーネと言います。

 このことばを聞くたび、脳裡には、図書館に羽がはえ、ふわふわと浮遊している絵が浮かぶ。

 本って、ほら、まんなかで開いて天地のどちらかから見ると、なんとなく「飛べそうな物体」に見えるでしょ。

伊勢型紙とインカの石積み

  

 少し前まで三菱美術館で型紙展をやっていた。展覧会のタイトルは「KATAGAMI」で、日本の伊勢型紙が世界のデザインシーンにどれほどの影響を与えてきたかを紹介する構成になっていた。19世紀末から西洋美術へ顕著な影響を与えた「ジャポニズム」。今までも浮世絵と印象派、琳派とアールヌーボーの関係などをとりあげてそれを検証する展覧会はあったけれど、「型紙」もまた、同様の役割をしっかり果たしていたことを知った。

 

山猫あとりゑ+かわうそ兄弟商會展@根津りんごや/終了いたしました。

 おかげさまで盛況のうちに終了いたしました。

 おでかけくださったみなさま、ありがとうございました。

 

 

  かつて八百屋さんだったという、間口の広いガラス戸を開け放った「りんごやさん」は、路地と屋内がひとつながりになった縁側みたいな空間です。猫たちが通り過ぎたり、散歩中の犬が飼い主を引っ張って寄り道したり、近所のちっちゃなこどもたちも手をふって通る。猫たちの愛称もこどもたちの名まえも、いつのまにか覚えてしまった。

 雨が降れば新緑が冴え、風が吹けば花や草の匂いがまじる、みずみずしい季節。外気を感じながら過ごす気持ちのよさ。道行く人たちと目が合えば、お互いにちょっとあいさつを交わす、縁側社交も楽しく。

星微堂書店企画 山猫あとりゑ+かわうそ兄弟商會展

  かわうそ兄弟の叔父さんこと、小林敏也さんの画本/宮澤賢治シリーズから、今回は「猫の事務所」の原画展です。叔父さんといっしょに、かわうそ兄弟商會の手ぬぐい、ブックカバーなども展示+販売いたします。

  ちなみに、(ご存知の方が多いとは思いますが)かわうそ兄弟商會の、ぽけっとした兄とちょいと目つきのよろしくない弟の「かわうそ兄弟」ロゴマークは山猫叔父さんこと小林さんに描いていただきました。

  「猫の事務所」のなかで宮澤賢治が、酋長猫を「眼光烔々たるも物を言ふこと少しく遅し」、財産家猫を「物を言うこと少しく遅けれども眼光烔々たり」と紹介していますが、かわうそ兄弟のロゴにあてはめると、「兄は物を言うこと少しく遅けれども弟は眼光烔々たり」って感じでしょうか。

コンテンツ配信